デジタルネイティブな生き方

沖縄国際大に通う23歳です。よろ

全てをテクノロジーのせいにしてしまおう。そしたらちょっぴり先の未来に行ける。

 

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去年の「電通の新入女性社員の自殺」を労働基準監督署が過労死と認めたのが先週くらい。だいぶ大きなニュースになった。

 

news.livedoor.com

生前Twitterで、当時の労働がどれだけ残酷なものだったか綴っていて、その辛さが痛いほど伝わってくる。僕だったら一週間も続かずにやめると思う。もちろん、過労死させてしまった電通の労働環境は卑劣なものであったことは事実。非難されて当然だと思うし、改善していくべきだとも思う。

 

この問題を違う角度から見てみる。

 

僕は電通の労働環境の改善以外にも、もっと大きな目でこの問題をとらえる必要があるんじゃないか?と思った。そもそも「なぜ人は働くのか?」「何のために働くのか?」という視点だ。働くことの根本を、もう一度考えてみる。

資本主義社会に生きている僕らは、まあ当たり前だけど、日々競争の中で生きている。義務教育下では同じクラスの仲間と競争し、時には全国のライバルたちと競争し。大学でも「就職」というゴールに向かって競う。それに勝ち残った者もいれば、負けた者もいる。社会人になってもその構図は変わらず、自らが起業を興しても同じ。常にライバルがいて、戦わなければいけない。

 

僕はそれ自体は決して悪いことではないと思っている。資本主義社会が今までの経済システムの中では「一番マシ」だったから今採用されているわけで、もちろん100点だとは言い難いけど、それでも最適なシステム。

 

今僕らが生きている先進国の中で「働かなくても死ぬことはない」というのが一般的な認識の基準だと思う。その日暮らしであってもご飯は食べれるし、働けない理由があるなら生活保護だって受けれる。それなのに「働いていた人が、自ら死を選ぶ」なんて悲しすぎるんじゃないか?

 

社会問題を全部、テクノロジーのせいにしてみる。

 

こういう問題を全部、「テクノロジーが悪いんだ」と思ってみるとまた違った答えが見えてくるかもしれない。確かに卑劣な労働環境を強いていた電通の問題でもあるけれど、一旦それは置いておいて。「働く理由は?」を考えてみたときに、それが「生きるため」ならまだまだ世界は改善の余地があるよなぁと。働く=生きるというよりも、働く=自己実現という社会に早くしたいなぁと。

 

最近めっちゃ考えるのが「食糧の無料化」。ひとまず食べるものが0円に近づいていったら、無理に働かなきゃいけない社会の暗黙知は消えるかもしれない。これが僕の仮説。そして医療・福祉、教育と段階的に無料にしていく。これはテクノロジーの進化で決して不可能ではないと思います。教育なんて今すぐにでもできます。

食糧の無料化でいろいろ調べていたら、こういう記事も出てきました。4年前くらいのものだけど。

 

social-design-net.com

 

テクノロジーの摩擦にあうのは僕らの世代なんじゃないか

 

今日、講義時間内にふと思ったことがあった。今の10代~30代の世代がテクノロジーの摩擦に巻き込まれて、大変な思いをする人が増えるんじゃないか?ということ。僕は20年以内には相当数の職業がAI等に代替されると思っている。自分が働いている業界で、AIやロボットが労働を代替していった時、年齢が30~50歳代の人キツくない?と思った。

それから転職するにしても、必要とされるスキルを持っていなければ市場価値は下がる。年齢的に高度な技術を習得しづらい人もいるかもしれない。そうなった時の末路は?である。

 

「人は自分の目の前に危機が差し迫ってきた時になって初めて、答えを探し出す生き物」だと僕は思っていて、そういう状況になってからでは遅いよね...という事案が多く発生すると思う。(今現在だってそう。)

 

それを何とか、テクノロジーで解決できる水準まで持っていけないか?そうしたら自殺した電通の新入社員のような人を助けられるのではないか?と思うのです。

 

 

 

まず「生きるために働く」という社会を、全世界から排除して食糧が限りなくゼロ円に近い形で供給される事。そうなったら、社会の目(働かなきゃいけないとかいう認識)は変わっていくのではないか。そうなって初めて、社会のセーフティネットは負い目なく機能する。そう思うわけです。

 

数十年後、過労で死ぬとか、仕事辞めたら人生終わりだとか。そう思う人が居なくなっている世界を創りたい。