全てをテクノロジーのせいにしてしまおう。そしたらちょっぴり先の未来に行ける。
去年の「電通の新入女性社員の自殺」を労働基準監督署が過労死と認めたのが先週くらい。だいぶ大きなニュースになった。
生前Twitterで、当時の労働がどれだけ残酷なものだったか綴っていて、その辛さが痛いほど伝わってくる。僕だったら一週間も続かずにやめると思う。もちろん、過労死させてしまった電通の労働環境は卑劣なものであったことは事実。非難されて当然だと思うし、改善していくべきだとも思う。
この問題を違う角度から見てみる。
僕は電通の労働環境の改善以外にも、もっと大きな目でこの問題をとらえる必要があるんじゃないか?と思った。そもそも「なぜ人は働くのか?」「何のために働くのか?」という視点だ。働くことの根本を、もう一度考えてみる。
資本主義社会に生きている僕らは、まあ当たり前だけど、日々競争の中で生きている。義務教育下では同じクラスの仲間と競争し、時には全国のライバルたちと競争し。大学でも「就職」というゴールに向かって競う。それに勝ち残った者もいれば、負けた者もいる。社会人になってもその構図は変わらず、自らが起業を興しても同じ。常にライバルがいて、戦わなければいけない。
僕はそれ自体は決して悪いことではないと思っている。資本主義社会が今までの経済システムの中では「一番マシ」だったから今採用されているわけで、もちろん100点だとは言い難いけど、それでも最適なシステム。
今僕らが生きている先進国の中で「働かなくても死ぬことはない」というのが一般的な認識の基準だと思う。その日暮らしであってもご飯は食べれるし、働けない理由があるなら生活保護だって受けれる。それなのに「働いていた人が、自ら死を選ぶ」なんて悲しすぎるんじゃないか?
社会問題を全部、テクノロジーのせいにしてみる。
こういう問題を全部、「テクノロジーが悪いんだ」と思ってみるとまた違った答えが見えてくるかもしれない。確かに卑劣な労働環境を強いていた電通の問題でもあるけれど、一旦それは置いておいて。「働く理由は?」を考えてみたときに、それが「生きるため」ならまだまだ世界は改善の余地があるよなぁと。働く=生きるというよりも、働く=自己実現という社会に早くしたいなぁと。
最近めっちゃ考えるのが「食糧の無料化」。ひとまず食べるものが0円に近づいていったら、無理に働かなきゃいけない社会の暗黙知は消えるかもしれない。これが僕の仮説。そして医療・福祉、教育と段階的に無料にしていく。これはテクノロジーの進化で決して不可能ではないと思います。教育なんて今すぐにでもできます。
食糧の無料化でいろいろ調べていたら、こういう記事も出てきました。4年前くらいのものだけど。
テクノロジーの摩擦にあうのは僕らの世代なんじゃないか
今日、講義時間内にふと思ったことがあった。今の10代~30代の世代がテクノロジーの摩擦に巻き込まれて、大変な思いをする人が増えるんじゃないか?ということ。僕は20年以内には相当数の職業がAI等に代替されると思っている。自分が働いている業界で、AIやロボットが労働を代替していった時、年齢が30~50歳代の人キツくない?と思った。
それから転職するにしても、必要とされるスキルを持っていなければ市場価値は下がる。年齢的に高度な技術を習得しづらい人もいるかもしれない。そうなった時の末路は?である。
「人は自分の目の前に危機が差し迫ってきた時になって初めて、答えを探し出す生き物」だと僕は思っていて、そういう状況になってからでは遅いよね...という事案が多く発生すると思う。(今現在だってそう。)
それを何とか、テクノロジーで解決できる水準まで持っていけないか?そうしたら自殺した電通の新入社員のような人を助けられるのではないか?と思うのです。
無理にでも働かなきゃいけない理由って、食べていくためとか、社会の目とかだと思うんだ。今の経済システムでは、「食べていくため」っていうのは競争の中で行われるもの と言う認識の方が強くて、それ以外の選択(生活保護受けたりフリーターだったり)をしたら社会が許さないみたいな。
— Taiki Zendaira (@okuman0521) 2016年10月8日
だから違う角度から見るとテクノロジーの問題だとも言える。食糧が限りなく0円に近くなってたら、自殺した人の「心のセーフティネット」にもなり得たわけで。そこには社会の目も大きく関わってくるけども。働く事と生きる事が、まだセットだから悪いんだよ。
— Taiki Zendaira (@okuman0521) 2016年10月8日
まず「生きるために働く」という社会を、全世界から排除して食糧が限りなくゼロ円に近い形で供給される事。そうなったら、社会の目(働かなきゃいけないとかいう認識)は変わっていくのではないか。そうなって初めて、社会のセーフティネットは負い目なく機能する。そう思うわけです。
数十年後、過労で死ぬとか、仕事辞めたら人生終わりだとか。そう思う人が居なくなっている世界を創りたい。
生きていくために必要な「資本」の種類が3つあるなんて、誰も教えてくれなかったよ。
最近の「言葉にしたいけど出来ないモヤモヤ」を一発で解消してくれた図があったのでブログに残そうと思う。今日は「資本」について。念のために、資本とは でググッてみて意味を調べてみましたよ。
進路指導用に「人生の攻略法」のプレゼン資料を作った。基本的にノーマルルートの人生なら、このチャート通りにプレイすればなんとかなる。あわせてハードモードの図も作った。 pic.twitter.com/JBZDfjT0sv
— Takayuki Fukatsu (@fladdict) 2016年9月11日
引用:https://twitter.com/fladdict/status/774988305062506496
素晴らしすぎてブログに書きたくなっちゃいました。本当に図が示していることの通りで、例えば僕ら学生が持っている特権は「時間」という資産。そんでそれをどう活用していくの?という事を考えなきゃいけないよねと。
若いうちは時間が余ってるので、まずは時間を人的資産(スキル)に変換する。次に人的資産で使って実績を出して社会資産(地位とコネ)に変換する。するとフロー所得(給与)が安定するので、そこから積み立てて不労所得(株とか不動産とか会社)に変換する…って方法が一番成功率高いよう観測される
— Takayuki Fukatsu (@fladdict) 2016年9月11日
引用:https://twitter.com/fladdict/status/774789917461196801
豊かな人生を送るために必要な仕事観
僕は仕事観は2つあると思う。1つは「努力の先にある報酬」。もう1つは「夢中の先にある報酬」。僕が選んだのは後者。先に言っておくと、決して前者を否定しているわけではないし、努力自体は素晴らしいことだと思う。でも自分自身が目指したい将来像には「夢中」は欠かせない。他人と人生を比較したり、年収の多い少ないでその人の地位が決まってしまったり。一概にそういうことで社会が決められるべきではないと思っているだけ。
豊かな人生とは?僕が考える豊かさは「心が喜んでできる仕事か」である。
自分以外の誰かばかり見ていては幸せにはなれない
情報化社会になって、僕らの周りには供給過多なんじゃないかというくらい情報があふれかえっている。SNSを覗いていれば1日が終わる。いや、一生が終わる。それくらいの情報量だ。
最近感じることだけど「いつまで探していても、誰も自分自身の答えは持っていない」ということ。そこにあるのは自分が求める答えへのヒントでしかなくて、そのヒントを集めて集めて、最終的に答えを出すのは自分自身であるということ。これが前提としてないと、一生やりたいことを探し続けて生涯を終える。それを解決する策が一つある。それはプライドとか恐れを捨てて一歩踏み出すこと。
誰かと同じ土台で評価されるという考え方は危険
この記事を読んだときに違和感と同時に怒りを覚えた。そもそもなんで全員が同じ山を登っているような発想になるのか、と。社会って、あたかもヒエラルキーの上層の人、中間、下層にカテゴライズされているように思える。それは年収とか肩書という評価基準があって、その人自身の地位を簡単に見極められるようになっているから。画期的なシステムだと思うし、それ自体は否定しない。
でもそこでは必ず過度な競争が行われる。今目の前にいる人は自分より上か下か。そんな目で誰かを見ることになる。そうやって世の中を見ている人に聞きたいのは
「それやってて幸せですか?」
という言葉。自分より弱い人がいたら攻撃し、自分自身の存在価値を確認するようなやり方はあまり好きではない。一体、何に勝って何に負けてんの。その戦いはいつになったら終わんの。逆に自分よりスーパー格上と出会ったとき虚しくなってしまいそうだ。
自分の幸せを「他人との比較の中で判断するか」「自分自身の満足感や幸福感で判断するか」の違いなのかな?と思う。
そういう終わりなき戦いは最初から挑まない事
僕は自分自身の「フロー状態」を一番大事にしている。フロー状態とは何かに完全に没頭して時間の流れを忘れてしまうこと。そんな感覚、味わったことない?気づいたら何時間も経っていて、でも体は疲れよりも心地よさの方が残っている感覚。それが多ければ多いほど人生は豊かになる。まさに「夢中に勝る努力なし。」
今日見かけた言葉で「フローが報酬」という言葉があった。日立製作所 技師長の矢野さんの言葉だ。一部抜粋して掲載する。
「フローが報酬」を意識するようになると、人生が変わる。私は変わった。
普通は、今の努力は、いつかお金や地位や健康で報われるから意味を持つ、と考える。私もそうだった。
しかし、フローこそが最高の経験であり、それが報酬という考え方を知ってからは、今の努力が今この時に報われるようになり、いつかこれが結果に結びつくかに、とらわれなくなった。より簡単に幸せになれるようになった。
引用:https://newspicks.com/news/1741318?ref=user_230669
一般的に「努力すること」は、いつかの自分の報酬や地位のため。でもそれって、今の自分の感情を無視してでもやるべきことか?について今一度考えるべきだ。いつかのためではなくて、いつでも”今の連続”が人生には大事で、それをずっと続けられるから幸せになれるんじゃないの?と僕は思っている。いつかの幸せのために今の我慢ばかり優先させちゃうと、これまた一生が終わる。もっとやりたい事があるはずなのに!
確かにそれを追い求めて毎日の生活ができなくなってしまうのは本末転倒だけど。家賃が払えないとか、ご飯が食べれないとか。でも僕は今後、テクノロジーの進化であらゆる生活コストは安くなっていくと思っている。それは僕の1つの夢でもあり、やりたい事だし。
そういう社会になったとき人は何をするか。同じヒエラルキーで自分より弱い誰かを攻撃せず、心から自由になって、生きがいややりがいを求める。それが上でも書いた「フロー状態」に近い感覚を生むと思っている。それが趣味であれ、極論は遊びであっても続けていくことでその道のプロフェッショナルになれる可能性はある。最高じゃん。
生き方は1つじゃない。多様であっていいし、誰かに文句を言うことも文句を言われることもない。なにやったっていい。自分の心が進みたい道に進めばいい。
「夢中に勝る努力なし」自分自身の人生の答えは自分自身にしか分からない。
富める者の義務とポケモンGO
ポケモンGOが日本でリリースされて約二か月くらいかな?僕は二週間くらいで飽きちゃってもう全然やっていないです。でも位置ゲーだから普段の生活してたらどんどんポケモンは出てくるわ、そんでジムリーダーと対戦はできるわ、ほんと現実世界がどんどん拡張されていってる感覚。もっと増えてほしいし、ドラクエとかも出したらもっと盛り上がると思うなぁ。笑
僕が興味を持ったのはそのポケモンGOの中で出てくる「ルアーモジュール」という名の有料課金アイテム。これ考えたら凄い社会的に意義のある事してんじゃないか?と思ったんです!!!!!!
トリクルダウン理論という理想社会
元ネタはこれ。恋愛工学の藤沢数希さんのツイートで気づいた。
#ポケモンGO は経済学のトリクルダウン理論を教えてくれている。まずは、金持ちがもっと金持ちになれば、豊かさが滲み出し、やがて下々の市民まで豊かになる。ルアーモジュールはまさに、ノブレスオブリージュの精神だよ。 pic.twitter.com/YnIqml1IkG
— Kazuki Fujisawa (@kazu_fujisawa) 2016年8月17日
経済用語でちょい難しい感じがするんだけど、トリクルダウン理論とは「富める者が富めば、貧しい人にも富が浸透する」という考え方。国家や経済業界などのマクロの中ではまだ立証されていないらしい。だからトリクルダウン仮説だという意見もある。
まあ言ってしまえば実体経済の中で言えばそんなの理想論だろうが!という意見も聞こえてきそうな気が。僕も個人的には単なる理想だなって思っている部分は多少はある。
最近話題になったパナマ文書とかピケティの21世紀の資本論とか。あれってまさに「富める者はどんどん富み、貧しい人は一向に脱却できないじゃん!」っていう感情の表れだと思うんだよね。おそらく実際の社会では資本主義が始まってから約5世紀以上、両者の戦いは続いてきたんだと思う。
だってみんな自分が得したいのは一緒でしょう。社会は平等であるべきだ。富が極端に偏るのはおかしいよって。
それは構造的な問題で「逃げ道があるから」そうなる。
それに対して文句いってもしょうがない。なぜならそれは国際金融の構造的な問題だから。世界には自国に資源が乏しい理由から、税金等で優遇される地域がある。タックスヘイブンとか言うんだけど、金持っている人らはそういうところに資産を移動させてんのね。その制度を変えるのはとてつもないマンパワーが必要で、今すぐに変えられるものではない。国際金融の構造上の問題だ。
僕はそれをポケモンGOのルアーモジュールが解決してくれると思っている。トリクルダウン理論がうまく働く環境が整ってる面白い仕組みだ。
重要なのは「思想」と「ルールの稼働」
従来のソシャゲの課金システムは、お金を投下したプレイヤー本人に恩恵がもたらせるのが普通だった。ユーザーの1~2割が大量の課金をするような形が多く目立つがポケモンGOは少し違う。
このルアーモジュールの最大の特徴は、利用したプレイヤーだけでなくその場所にいる全てのプレイヤーがその恩恵にあずかれるという点です。
課金した人だけではなくて、その場所の周辺にいるプレイヤーすべてに恩恵がある。そして東洋経済の記事の中ではこうも書かれている。
「ルアーモジュール」で興味深いのはそのアイテムの特性上、自分のためだけでなく、「みんなのために」課金する、という現象が発生している点です。
これが本来目指すべき理想のトリクルダウン理論に近い形だと思っている。ここで大事なのは製作者の「思想」で、ポケモンという子供に慣れ親しんだゲームであるという背景はあったとしても、従来の課金システムとは少し違った形で提供しようという思い。
そして「それを実際に稼働させるルール作り」。金融資産とは違って資産を移動できるという構造上の問題が発生しない。同じ仮想環境で意図的に決められた空間を共にするということが真のトリクルダウン理論を実装できている。
これは他の経済施策にも用いることができると僕は考えていて、大元であるサービス提供者(もしくは国のような機関)は参考にできると思う。
その中でも肝なのは広告という消耗商品と思っていて、拡張性のあるインターネットのビジネスは0円に近い費用でなんでもできてしまう。それは行動履歴からの表示広告の最適化、制作コストが安い、というのもある。トリクルダウン理論の実現は、ITが及ぼす生活コストダウもその1つだと思っていて、個人的にはそういう世界を実現するために頑張っていきたい。
消費のような時間をいかに生産に変えていけるかが全て
8月入ってまったく働いていません。。。。どんどん嫌いな事・やりたくない事から遠ざかっている。個人的にはいい方向に向かっていると思っていて、どんどんノンストレス生活への階段を上がっていきたいと思う。
さて最近興味があることが、「何気なく生きている毎日の価値を上げていきたい」ということ。誰でも24時間という時間は平等なわけだから、昨日より今日、今日より明日、自分自身の価値を上げていきたいなと考えています。
自分が提供できる価値はなにか。そんで幸せに思えることはなにか。そこを最大化できれば人生はどんどん豊かになる。それを実践していきたい。
具体的には、こうやってブログに記事を書いて蓄積させていくこともそうだし、Twitterでの情報発信もそう。これは続けていこうと思う。
うちの子は大学生活で何をしてきたんだ...と嘆く親戚
お盆で地元の伊良部島に帰省している間、親戚一同いろんな人と会うじゃないですか。久しぶりに会う人もいて話は盛り上がる。だいたいは「今は大学戻ってる?それとも東京にいる?」とか生息地不明感が漂っている僕です。笑
そんな中、ある親戚の人が言った。「うちの子は今働きながら専門学校に行っている。まったく、大学4年で何をしてきたのか分からない。お金がいくらあっても足りない。」
僕も耳にタコができるくらい親に言われ続けている。笑
大学に何しに行ったんだって。でも僕は僕なりにこうやって生産活動を続けているつもりだし、学ぶことはとても楽しい。いろいろと経験もつめていて有意義だ。ただ、人と選んだ道が違うだけだ。
そしてその親戚の人の子も、何かしら活動はしていたはずである。
それが親の目には”ただの消費”に見えていて、”生産活動”と思われていないだけである。実際、本人がそれを意識して続けていたかは分からないけれど、何もしていないわけではない。
東京から来た小5の親戚の子はyoutuberになっていた!
そんななか、東京在住の親戚の子供は小学5年でyoutuberになっていた。僕がおじいちゃんの家に行くと毎日youtubeばっかり見ていて「現代っ子やなぁ」と思っていたらチャンネルを持っているという。
自分の子供のことを嘆いていた親がいる一方で、youtuberになっている子もいる。この両方の話を聞いてとても面白かった。片や、”時間を消費しているだけ”だと思われている中、片や”消費のような生産活動をしている”と思った。
いまや子供の将来の夢の第三位に「youtuber」が入っている時代だ。ここまで来たらただの「遊び」の域を超えてエンターテイナーだ。
まあそのyoutuberの子が今後それを仕事にするかは活動次第だけど、可能性としてはあるわなと。この「消費のような生産活動」が今の時代しやすくなっているのは事実。
youtuber以外にもインスタグラマーやブロガーだってそう。メルマガ発行している人もそうで、みんな自分自身を売り込んで生活しているということが起こっている。
当然、毎日更新し続けたり情報発信をし続けていればそれは貴重なコンテンツとして溜まっていくわけで、消えてなくなるものではない(規約違反さえしなければ。笑)
僕が「何気なく生きている毎日の価値を上げたい」というのも情報発信側の視点からのもので、やっぱり毎日続けていこうと思う。もっと大事なのは毎日続けられることであるかどうかではあるけど。自分の価値を認めてくれ、共感してくれる人へ思いを発信していく。それだけで十分な生産活動だと思う。
君が感じている漠然とした不安は案外すぐに解決できる【就活】
講義は週に3日しかないけど、その3日の講義のうちの1コマであった話。
「みんな就活してんの?どんな感じ?インターンとか行った方がいいかな。不安....」
グループディスカッションだったんだけど、同じグループの女の子がポロッと言った一言。僕は見逃さなかった。
僕「漠然な不安はあると思うけど、それ考え過ぎだよ。行動したら案外大丈夫。その行動の仕方にもよるけど。」
女の子「!?!?!?」
一言目がこんな感じの会話だったから、少し驚かせてしまったみたい。笑
でもこれは紛れも無い事実だと、肌感覚的に思う。
怖がりすぎる必要は全く無い。
例えばなんにもしてなかったらこんなこと言えないけど、僕は僕なりに学外活動をそれなりにやってきたつもりだ。去年休学してて学んだことは社会人と過ごす時間の中で凄く多かった気がしている。
僕はそこで音楽フェスの協賛という商品を売り歩いたり、また別の場面では今関わっている事業の営業もやってきた。単価で言えば高い時で200万とか500万とか売れた時もある。その時は流石に「まじかよ売れたよ!!!!」と思いはしたけど。
そこで経験できたことは自分の精神面に大きな影響を与えた。その経験がきっかけで東京のベンチャー企業から就職のお話も頂いたし、ご縁があって会社の立ち上げにもお声がけ頂いている。
結局は何を選択したかで成長度合いは全く違うということだと思う。社会人スキルが高いかと言われたらそれは自信はないけど、社会に出て自分を試すという意味では有り難いことに経験できている。去年の1年間は有意義だった。
自分価値の高め方は「周りがやってない事をやる」
講義で不安がっていた女の子にも「周りがやってないことをやろう」とアドバイスした。本当に答えはシンプルで、それだけで市場価値は一気にあがる。一番手を伸ばしやすい方法は、イベント企画している団体・学生と一緒に活動を行うこと。細かく言えば協賛とか広報とか、なるべく外部との繋がりが持てる部署へ。そこでできるだけ多く大学の外にいる社会人と時間をともにできることが一番重要。
ちなみに、就活時に本来すべき差別化の話を、LINE執行役員の田端さんがまとめたnoteが以前バズっていた。この内容は一読の価値アリ。少し意識するだけでも面接官に与える影響は変わってくると思います。
そして一番いいのはやっぱり「人に何かを売ってみること」だ。それが学生仲間より、企業や社会人なら尚更。個人的にインターンに行くより経験値は積めると思っている。
僕個人としては、「みんなと同じじゃ差別化出来ないから競争しちゃう」って思っているので、いかに人と違うことをやるか、にしか価値を置いていない。経済学的に言えば、需給バランスで市場価格は決まるので、人がやっていない事を自分がやっている方が結果的に高値がつく。
就活、今後の進路で悩んでいる後輩たちは参考にしてほしい。人と違うことをしよう!
ブランド物のライバルは「いいねボタン」だと思う。
youtuberがなりたい職業3位にランクインしたという記事を読んで、「ITの浸透が職業選択にも影響およぼしてんなぁ~」って思った。
でもそれだけではなくて、もっと重要な事にも影響していると思うんですよ。誰でも頭の片隅で思うであろう「かっこよく見られたい願望」。承認欲求です。
昔みたいに有名になるには例えばテレビに出る選択肢が一番だった。あの狭き門を通り抜けるのはごく一部の勝ち組。でもブログや動画などの情報発信媒体をしかも0円でもてる時代が今。
FacebookやTwitterなどのSNSもそうです。これらに付いている「いいね」やリツイートの機能。これって言い換えれば1つの評価基準です。数々の投稿、ツイートの中で評価が多いとやっぱり気持ちいい。
これ結構色んなとこで影響与えていると思います。その1つがブランド物などの高級商品。あなたはそれをなんのために買うんすか?
買った後の高揚感が継続するのは「披露できるから」
やっぱ誰かに披露できるって気持ちいいですよね。そこに言葉はいらない。持っているだけで「いいだろぉ~?」ってなる。その時間が長ければ長いほど気持ちいい時間は続くんですよね。見栄はって少しでも評価されたい気持ちは誰もが経験あるはず。
でもそれも安易に手に入れやすい時代になった。記事を投稿してコメント、いいねの数がどんどん増える。そしてまた書く。今までの承認欲求がお金を使って欲求を昇華させていた時代からお金をかけなくても昇華できる時代へと変わってきていると僕は思います。まさに評価基準の多様化が起こっている。
昔からある資本主義経済の片隅で、評価経済も共存しているのが今。「いいねボタン」は個人の欲求を昇華させ、その人のキャリアにも少なからず影響していく。
フォロワーなんて馬鹿にできなくて、100人、1000人、10000人と増えればそれはお金と同等・もしくはそれ以上の価値になる。月100万と100万フォロワーだったらどっち選びますか?って話で、僕なら後者を選びます。100万では買えないものってあるので。これが1000万でも1億でも後者を選びますね。
それだけ金積んでも買えないものってあるんですよね。1億あっても社会的価値のあるものを生み出せるかって言ったら違う。
まさに世は「大評価経済社会」になりつつある。しかもそれで生活できちゃうんだから快適だよね。前の記事で書いた次の時代の貴族ですまさに。
でも中途半端に昇華されて何もできないのは本末転倒
これは自分自身への自戒も込めて。笑
ある程度タメを作るのって大事だとも思います。投稿したいけど、あえて抑える。その間何をするかと言ったら、自分自身の価値を高めるんですね。これ結構意識してます。
「こいつまた面白いツイートしやがって」っていうくらい、自分自身の感性は常に研ぎ澄ましていたいし、そういうツイートを見て、少しでも誰かの学びになってくれたらなという意識で毎回書きます。
あとは備忘録的な役割としても。こんなに簡単に情報発信出来て、一部のファンのような存在ができて、それが次のアクションにも繋がる。記事やツイートはストックもできるので、言ってしまえば情報資産と化す。
いつか為るであろう、「何者か」になるまで、こうやって情報は発信し続けていきます。